第五十七回 2019年01月
中国の内モンゴル自治区には広大な面積の砂漠がたくさんあり,そのうちの1つはクブチ砂漠という。クブチ砂漠では毎年,日中友好植樹活動が行われる。
何年も前,私は幸いにもこの植樹活動に参加した。私たちは日本から来たボランティアの人たちと北京から出発し,一緒に列車に乗って,内モンゴルの包頭(パオトウ)市に着いた。それから包頭市でバスに乗り換え,5時間バスに乗って,ついにクブチ砂漠の隣の小さな町に到着したころには,既に2日目の夕方になっていた。一晩の休息・調整を経て3日目に,期間を3日間とする植樹活動に取りかかった。
第五十八回 2019年01月
私たち中国人大学生と日本から来たボランティアは一緒に,砂漠で1つ1つ小さな穴を掘って,ちっぽけな苗木を入れてゆき,それから苗木にたっぷり水をやった。太陽は砂漠で忙しくしている私たちをまともに照りつけ,とてもまぶしかったが,私たちは互いに励まし合い,ほかでもなくこうして,私たちは共に3日間一生懸命頑張った。もともと一目では端まで見渡すことのできなかった砂漠が,瞬く間に緑色でいっぱいになった。私たちの労働の成果を見て,私たちは一緒にうれしくて笑った。何年も経って,日中友好を表す小さな苗木はきっと大樹になり,広い砂漠の生態環境を守っているだろう。
第五十九回 2019年02月
まだ小学生のころ,よく両親と一緒に頤和園へ遊びに行った。
頤和園には面積の大きな湖があり,これがすなわち有名な昆明湖だ。そのころ湖は舟をこぐことができるだけでなく,泳ぐこともできた。私は昆明湖で思う存分泳ぐのが一番好きだった。夏の太陽はかんかん照りつけるが,水の中はとても涼しくて爽やかだ。少し泳ぐと,水面にあおむけになってしばらく休み,それもまた楽しいことではなかったろうか。そのころ北京の空は,まるで宝石のようにコバルト色をしていて,悩ましいPM2.5はなかった。湖水は澄みきって水底が見え,湖は目の覚めるようなはすの花が満開で,いろいろな種類の小さな魚も私のそばを泳いで通り過ぎて行った。
第六十回 2019年02月
私はよく東の岸辺から水に入り,十七孔橋(アーチが17ある橋)まで泳ぎ,それからまた十七孔橋から東岸へ戻って来た。ある日,十七孔橋のそばで巨大なはまぐりに出くわした。私の手のひらと大きさが似たりよったりで,まだ小学生だった私は思わず鳥肌が立ち,慌てふためいて岸まで泳いで戻った。
私は人に会う度に,昆明湖に巨大な蛤がいるのをこの目で見たと力説したが,私の言葉はあらゆる人にとって,千夜一夜物語(アラビアンナイト)のようであり,信じようとする人はいなかった。今に至るまでずっと,私はいまだにあの偶然出会った蛤を忘れ難いのだが,時は移り様子も変わり,蛤があれから以降,湖でのんびり,また楽しく生きているかは分からない。
第六十一回 2019年03月
二歳の子供は何もわからない。両親は手術室の入口で子供を医療従事者に引き渡された時、不安で仕方がない思いを禁じ得なかったことだろう。親の目から離れてしまうと、医療従事者がどのように子供に向き合ってくれるのかわからない。子供が医療従事者に、このように優しく扱われているのを見て、両親はとても満足を感じ、感動を覚えたはずだ。
第六十二回 2019年03月
投稿者たちが言わせた通り、「そこには、美しさがあり、それは細やかな温かさと優しさである。」「仕事への思いの強さがあり、それは全身全霊をささげている。」「感動的であり、子供患者を自分の子のように扱っている。」写真がネット上で延々と拡散し続ける理由は、人の感情のもっとも優しく、か弱い部分と最もデリケートな部分に触れているからである。
人の情感は相通ずるものである。親たるものは、あの母親の気持ちを理解でき、看護師と母親に情感的に共鳴できるのである。
第六十三回 2019年04月
「好き」と「打ち込む」はコインの表と裏のようなもので、その因果関係は循環しています。好きだから仕事に打ち込めるし、打ち込むうちに好きになってくるものです。
どんな仕事であっても、それに全力で打ち込んでやり遂げれば、大きな達成感と自信が生まれ、また次の目標へ挑戦する意欲が生まれてきます。そのくり返しの中で、さらに仕事が好きになります。そうなれば、どんな努力も苦にならなくなり、すばらしい成果を上げることができるのです。
第六十四回 2019年04月
講師はホンダの本田宗一郎さんだったのこと。
会場に現れた本田さんは工場から直行したような作業着で開口一番に「みなさんは、いったいここへ何しにきたのか。経営の勉強をしにきたらしいがそんなことをする暇があるなら、一刻も早く会社へ帰って仕事をしなさい。温泉に入って、飲み食いしながら経営が学べるわけがない。それが証拠に、私はだれからも経営について教わっていない。そんな男でも会社が経営できるのだから、やることはひとつ。さっさと会社に戻って仕事に励みなさい。」
第六十五回 2019年05月
老人問題は、私たちの社会にますます近づいてきている。このところ、高齢者の老後の問題について、メディアの報道もよく目に付く。しかし、筆者は、これは一面的なものにすぎない、と見ている。別の面で高齢者は、社会から「養ってもらわなければならない」ばかりでなく、同時に彼らも社会にフィードバックできる力を持っており、まったくの受身の存在だけではなくなっているである。
かつて報道された「シルバーガイド」のような活用法を、筆者は肯定する。報道によると、大連の観光地では、60を過ぎた老人たちが活躍しているという。
第六十六回 2019年05月
彼らは、同市の旅遊局に採用された「シルバーガイド」だ。老人たちは、自身の体験をふまえ、歴史、民俗伝説、いわれ、風土などを観光客に語り、観光地の独特の名物となっている。
これらのシルバーガイドは、知的レベルも高く、多くが退職した教師、医師、幹部などで、旅行好きのうえ、多芸多才だ。多くの人は歌ったり踊ったり、楽器の演奏も得意だ。業務研修を受けた後、ガイドとなるが、人気は上々である。
第六十七回 2019年06月
四川に来て、この地の人の建てる家は、一番経済的だと思った。火で焼いたレンガをよく柱に使う。四本の柱をぽつんと建てて、上には木の骨組みをかぶせている。あばら骨のようでひ弱でみすぼらしく思った。しかし、瓦を葺いて、四方に櫛状の竹で壁を組み、さらに泥灰を塗ると、遠目からは、家らしきものに見える。
第六十八回 2019年06月
私が今住んでいる「雅舎」は、こうした典型的な家である。いうまでもなく、この家はレンガの柱がある。壁もある。すべての特徴が何でもそろっている。住居で言えば、私の経験は少なくはなく、色々な様式の住居に住んでみた。私はどこであろうが、しばらく住んでいると、その家には愛着がわき、どうしようもない限り、非常に去りがたい気持ちになるのである。
第六十九回 2019年07月
ここ数年,陽朔観光にやってくる外国人「バックパッカー」が急増しており、毎年六万人を越えている。殆どが学生,学者或いはアルバイト族で、アメリカ、英国、フランス等の先進国から来たものが多い。陽朔西街は中国と西洋文化の合流点となっており、ここで学べば居ながらにして留学したのも同然で、しばしば中国人が外国語を学び、外国人が中国語を学ぶのに又とない教室とみなされています。陽朔西街が「中国最大の外国語コーナー」呼ばれるのもこのためです。
第七十回 2019年07月
一人のガイドが妙な事を云った。「お客様が西街を歩いている時、顔じゅうに長年の辛酸を刻みつけた田舎婆さんが、突然生粋のアメリカ英語を話しだしたとしても、決して驚いてはいけませんよ。陽朔県の方言のほか、英語もあの人たちの日常語なのですから」
「郷に入れば、郷に従え」の譬えの通り、陽朔西街の西洋色の濃厚な文化の中にも、しばしば中国の伝統文化の要素が入り混じっている。例えば、外国人がやっているバーでは、多くの外国人オーナーがバーの中に竹の筏やびく、そして毛主席のバッチすら掲げ、テーブルにはろうけつ染めの青と白のテーブルクロスを敷いている。いささか懐古的なムードではあるが、中国趣味で満たされている。