中国語表現法研究  和文中訳

第四十九〜第六十回


ホームへ戻る

第四十九、五十回

ロンドンに居を構える大英博物館は世界最大規模の博物館である。ここには、ギ リシャ、ローマ、エジプト及びアジア各国の重要な資料、芸術品と書籍が収蔵さ れている。 展示品の数量から言っても、歴史的な価値から言っても、他に類例を見ない。マ ルクス、エンゲルスなど世界的に名を残す多くの人々が,かつてここで理論研究に 携わった。


大英博物館は17世紀80年台に、創立された。当時の英国国王ジョージ二世は 自らの蔵書を寄贈した。 ジョージ二世の主治医は53,000点に及ぶコレクションを寄贈した。その中 には書籍、絵画、衣服、貨幣,花器などが含まれる。1759年、大英博物館は公式に 一般に開放され、その後絶えず規模を拡大している。 現在、ここでは毎年延べ300万人を越える参観者を迎え入れており、各国の観 光客にとってロンドンで最も魅力的な場所の一つとなっている。

五十一、二回

長年の努力と積み重ねを経て、両国経済の相互依存度は益々高まりつつあります。中日両国の経済面での協力は互恵とウィンウィンの関係にあり,両国経済の発展は、双方のいずれにとっても脅威ではなくチャンスです。


貴国には「風は吹けども、山は動かず」ということわざがあります。中日両国関係の発展は、風雨や紆余曲折をたどってきましたが、中日両国人民の友好の土台は泰山と富士山のように決して動揺することはありません。

五十三、四回 (薬) 
                    

老栓もそちらを見たが、一群の人々の背中しか見えなかった。皆、首筋を長く伸 ばし、まるで沢山のアヒルが目に見えない手につかまれて、吊るし上げられてい るようだった。暫くシーンとなったが、何か声がしてまた動揺が起こり、バーン と音がすると皆後ずさりした。そのまま老栓が立っているところまで,散りじりに 逃げてきて、危うく彼を押し倒すところだった。


この年の清明節は特に寒く、柳はやっと米粒半分ほどの新芽をつけたばかりだっ た。夜が明けて間もなく、華大(女馬)はもう、右側の新しい塚の前に,四皿の料理と一 碗のご飯を並べて、哭礼を捧げていた。紙銭を焼き終わると、ぼんやりと地面に 座っていた。何かを待っているようだったが、自分でも何を待っているのか分か らなかった。そよ風か吹いてきて、彼女の短い髪をそよがした。確かに去年に比 べて、白髪がずっと増えていた。


五十五、六回 

シルバーの余力を発揮しよう

日本のサラリーマンは60歳が定年ですが、退職後、健康で、働く意欲と能力が あれば、日本では高齢者も再就職が出来ます。こうした貴重なシルバーの余力を 発揮させるため、日本では「高齢者継続雇用最低報酬給付金制度」を新たに設け ました。それによると、六十歳以後も続けて働く者は、毎月の給与が六十歳定年 時の85%に満たなければ、雇用保険からその不足分が補填されます。この制度 の目的は,継続して働く高齢者の利益を守ることにあります。


再就職の目的はそれぞれ異なります。自分の長年の仕事の経験と技術を生かして 、喜んで仕事に励み、人生をより価値のあるものにしたいと思う者もいるし、家 庭の収支を考えて定年後も続けて働きたいと思う者もいます。更には、「会社人 間」と言われる日本の男達ののなかには、恐らく会社以外には横の繋がりがなく 、退職してしまうと家で一体何をしたらいいのか分からない者もいます。こうし て彼らはやはり働きに出た方がよいと考えるのです。

五十七、八

私の多くの同僚、同窓と友人は大体前世紀の50〜60年代には大学生だった。改革解放の頃には皆既に、天命を知る年になっていた。その中の多くの子女は勉強がよく出来て、こぞって留学して勉学に励み,ほどなく海外に足場を築いた。職業を持って一家を構えると、続々と両親を身元に呼び寄せたので、親孝行が出来たばかりか、両親もまた家事の切り盛りを手伝うことが出きるのです。

私の同僚の夫婦は始めたばかりの事業を未練もなく手放して,早期定年退職の手続きをして遥か外国の子女の下に行き,苦しみに耐えながら子女を助けて家事をこなし孫の面倒を見ている。彼らには三人の子女がいるが,アメリカとカナダの各地に別々に住んでいる。どの子供も大事なことに変わりはなく,老夫婦は体は一つで分身の術をわきまえているわけでもないので,手分けして分担せざるを得ず,晩年になって牽牛織女のような別居生活を送る羽目になった。

五十九、六十

私の友人の家の階下には包子屋があり、饅頭や烙餅の類、お粥やスープなどを朝から晩まで食べさせてくれる。だが、彼は未だ嘗て朝飯の時間に「お客さん」になったことはない。ひどく腹が減った時には、水を飲んで我慢してでも、昼になってからブランチを食べて一挙に済ませたいのだ。実は、朝食を抜くと健康によくないことは分かっているのだが、どうしても朝ごはんを食べる習慣が身につかず、今では彼の子供までが、殆ど朝食を食べなくなってしまった。

政府が「朝食運動」に注力しようとしているのを見ると、有難いと思う。何故なら場所もメニューもより多くの中から朝飯を選べるようになるからだ。だが、喜んでばかりもいられない。あの朝飯抜きの連中のことが思い出される。彼らに対しては、「朝食運動」を展開し、各分野が協力して,良好な外的条件を作り出すだけでなく、朝飯抜きの諸々の弊害を大いに宣伝して、彼らの心の中に朝食は欠かせないものだという内的な欲求を醸成しなければなららいのではないかと私は思う。