中国語表現法研究  和文中訳

第六十一〜第七十二回


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六十一、二

総じて、人類社会の発展過程において、科学技術の進歩は益々速くなってきている。昔は、真に価値のある科学技術の発見や発明は何十年、いや一世紀に一度しかなかったのだが、現代の科学技術の発展はといえば、諸々の発見や発明が次々と尽きることがなく、科学技術のレベルは五年間で小変化、十年では大変革を遂げている。

現代の科学技術の進歩は「日進月歩」といっても過言ではない。勿論、それには情報の伝播と科学技術の普及の速さも含まれる。メリットは明白だ。世界経済は益々発展し、人々の暮らしは益々楽になり、生活は益々便利になり、余暇は益々多くなる。だが、こうした新しい科学技術は人類に幸福をもたらす一方で、やはり幾ばくかの副作用をもたらすことにも目を向けなければならない。

六十三、四回(阿Q正伝

形の上では阿Qの負けで、薄汚れた辮髪をひっつかまれ、壁にゴツンゴツント四・五回ぶっつけられる。ひま人たちは、こうして初めて満足しきって、意気揚々と引き揚げるのだ。阿Qは暫くの間、立ったまま考える:「とにかく俺は倅に殴られたようなもんだ。今の世の中は全くなっちゃいねえ・・・」こうして、彼もまた大満足で勝ち誇って引き揚げるのである。阿Qは後でいつも、心で思ったことを口に出してしまうので、阿Qをからかう連中は殆ど皆、彼にはこうした精神的に勝つ方便があるのを知っていた。

人が言うには:勝利者の中には、敵が虎や鷹のようであって欲しいと願い、そうでないと勝利者の喜びを味わえない者がいる。もし、羊やヒヨコのようだと、寧ろ勝利の空しさを感じるのだ。又、他の勝利者は、全てを征服した後、死ぬものは死に、降参するものは降参し、「臣、恐れながら死を覚悟で申し上げます」という有様を見ると、もはや敵も、相手も、友も失ってしまい、自分だけがお山の大将となって、一人ぼっち取り残されて、惨めで寂しい思いをし、かえって勝利の悲哀を感じるものだ。

六十五、六

本は本当によい。本は私とおばあちゃんの間を取り持ってくれる。以前、私とおばあちゃんは話し合うことが少なかったが、私が好んで本を読んだり買ったりするようになってからは、様子が一変した。私は学校に行かなければならないので、寝る前以外にはじっくり本を読む時間がない。然し、おばあちゃんの方は昼間一人きりで家にいるので、たっぷり読書に時間をかけて過ごすことが出来る。従って、私が夜に読み、おばあちゃんが昼に読むといった具合に、本効率よく利用できる。こうして、食事の時やくつろいでいる時、二人は益々話し合うようになった。本の良し悪し、本の内容、本の面白さなど何でも話題になる。本は二人の交流の使者になったのです。

俗に『年寄りは「三国志」を読まない。若者は「水滸伝」を読まない』と言われる。だが、我が家では年寄りが「三国志」を読んで興味を抱き、若者は「水滸伝」を読んで様々なことを感じ取る。私達はいつも小説の中の或る事件や人物に対して違った見方をする。その為に、ささやかな議論を繰り広げて、白黒をつける。笑い声で論争しながら、考えを話し合うのですが、時には両親も「戦闘」に引き込まれて、家中の者があれこれ批評しあって、本当ににぎやかなのです。

六十七、八

中国が発展途上国であることは、現実の国情から見て否めない。大都市では現代的な気概に満ちた発展がなされている反面、片隅には手のつけられない一角もある。低所得のよそ者は、或る程度、都市発展のコストを引き下げ、都市に「新しい息吹」を吹き込んでおり、都市側は彼らをサポートし、配慮すべきである。所が、多くの「新移民」は子女の就学難と社会保障の欠如に直面している。これは戸籍上の「区別」改善が遅々として進んでいないことの現れであり、「問題となっている無秩序乱居」の発生は、とりもなおさず正規の安い貸部屋がないことの実態を表している。別の見方をすれば、どうして「都市側の配慮」の欠如ではないなどと言えようか。

他山の石がヒントになることもある。人口密度の高い日本の大都市では、家賃の安い、数平方メートルの一間の「単身アパート」をよく見かける。「小規模ながら何でも揃っており」、多くの新入社員、他所から来た学生や出稼ぎ労働者の落ち着き先となっている。我々の都市行政の責任者は、LDKつきの低家賃貸住宅や戸籍上の入居資格にのみ目を向けるべきではなく、遊休の公舎を有効に活用するとか、住宅保有量を調整するとか、社会資本の投入を奨励するとかの手段を講じて、一群の「青年アパート」・「単身者ホーム」といった類の低家賃の「ミニ」住宅の改築・建設を進めるべきである。正規のルートにより、低コストの居住問題が解決できるならば、「問題となっている無秩序乱居」はかなり解消することになるだろう。

六十九、七十

インターネットが現実のものとなる前は、世界各国の人々は外国の情報を知ろうとすれば、殆ど自国のマスメディアを経由せざるを得なかった。プロの情報伝達機構としてマスメディアは、どの情報は伝えるべきか、どの情報は伝えないかを決める権限を持っていました。マスメディアのこうした「情報のフィルター」としての社会的機能のために、各国の情報の受け手は自国の記者や編集者の観点や視点を受け入れざるを得なかったのです。つまり、マスメディアの「検閲係」が自国の受け手が何を知るべきか、そして何を知ってもよいかを事実上決めてしまうので、一般大衆が受け取る外国に関する情報はすべて、「フィルターをかけられた」情報だったのです。

イデオロギーによってメディアの「検閲係」が取捨選択する基準が決まってしまうので、メディアが選んだ報道が一般の受け手の外国文化に対する理解に強い影響を与えていたのは明らかです。

インターネットはこうした事を全て一変させてしまいました。インターネットの上では、ユーザーは相手の生の声にじかに接することが出来るのです。この驚くべきインターネットの世界では、ユーザーは、特定のイデオロギーを基準にして検閲係が翻訳したりカットしたりしていない様々な情報を得ることが出来、相手の文化の諸様相を全面的に理解するのに役立っています。今や世界の少なくても150カ国以上の国がインターネットで結ばれており、インターネットが多国間文化伝達の新時代を作り上げたといっても過言ではありません。インターネットを通じた他国間の文化の伝達は、これまでのマスメディア経由に比べて、時間的には頻度が高く、形態は直接的で、範囲も広くなっています。

七十一、二〔鴨的喜劇〕

ロシアの盲目の詩人エロシェンコ君が、例のギターを携えて北京に来て間もなく、私に嘆いていった。

[寂しいよ。寂しいよ。砂漠にいるように寂しいよ]。

それは本当だろうが、私としては一度もそう感じたことはない。私は長く住んでいたので、[芝蘭の部屋に入るも,久しうしてその香りをかがず]というのだろうか、ただ実に騒々しいと思うだけだった。しかし、私の騒々しいというのが、或いは彼の言う寂しということなのかも知れない。

ところで、私には北京には春と夏がないように感じられる。北京に古くからいる人は地気が北転した、ここは昔はこんなに暖かくなかったと言う。ただ私にはどうも春と夏がないように思われる。冬の終わりと夏の初めが接していて、夏が去ったかと思うと、冬が又始まるのだ。

ある日、まさにこの冬末夏初のころ、そして夜だったが、私はたまたま暇が出来たのでエロシェンコ君を訪ねた。