第十三回                        2016年11月

十月の半ば、午前十一時頃のことだ。太陽は姿を隠し、開けた山裾のあたりは激しい雨に濡れているように見えた。私は淡いブルーのスーツに、ダークブルーのシャツ、ネクタイをしめ、ポケットにはハンカチをのぞかせ、穴飾りのついた黒い革靴(brogue)に、ダークブルーの刺繍入りの黒いウールのソックスをはいていた。小さっぱりと清潔で、髭もあたっているし、なにしろ素面だった。さあ、とくとご覧あれ。身だしなみの良い私立探偵の御手本だ。何しろ資産四百万ドルの富豪宅を訪問するのだから。

第十四回                        2016年11月

玄関ホールの奥にはフランチドアがあり、その先にはエメラルド色の芝生が気前よく広がり、真っ白なガレージに通じていた。ガレージの前では、真新しい黒いゲートルを巻いた、黒髪のほっそりとした若い運転手が、えび茶色のパッカードコンバーティブルの埃を払っていた。ガレージの向こうには何本の装飾的な樹木があって、どれもプードル犬みたいに念入りに刈り込まれている。

大いなる眠り  レイモンドチャンドラ作 村上春樹訳
<The  big sleep>  Raymond chandler雷蒙特・銭徳勒

第十五回                        2016年12月

10年も続いている労働者不足は、基本的に通年の問題であるが、春節の後にさらに顕在化する。今年の労働人員局の情勢と見通しは、どのような新しい特徴がみられるか。

現在農村からの出稼ぎ労働者の人口の増加率が下降してきていると言う。しかし、需要で言えば、労働力市場はまだ引く手あまたである。

以前、出稼ぎ農民の就職先は第二次産業であったが、最近では第三次産業のサービス業に移行する傾向にある。ここ数年、調べたデータによると、GDPが1%上昇するごとに、都会の新しい事業への従事者が150万人から170万人増加している。

第十六回                        2016年12月

採用難と人手不足は、かなり昔から続いてきた。今年はどんな新しい特徴と傾向が出てくるか。

この「二難」現象は沿海地区から中西部地区へと広がっていると言う。人員構成で言えば、技術職と上級レベルの一般エンジニアに人材不足が多く発生している。こうした現象は労働集約型企業や、伝統型製造業やサービス業の一部に集中して見られる。また、労働者不足は、通年的なもので、春節の時期に顕著になる。

 上述の二つの大きな問題は、並列しており、我が国の就職のフィールドの構造的矛盾を反映している。

第十七回                        2017年01月

そこはセントラルアウェニューの混合ブロックの一つだった。つまり黒人以外の人間も、まだ少しは住んでいるということだ。私は椅子が三つしかない床屋から出てきたところだった。ディミトリオスアレイディスという理髪職人がその店で臨時雇いとして働いているかもしれないという情報を、調査エージェンシーから得ていたのだ。大した仕事ではない。その男を連れ戻してくれるなら多少の金を払ってもいいと、女房は考えたわけだ。結局その男は見つからなかった。
でもそんなことを言えばミセスアレイディスにしたって、一銭の報酬も払ってくれなかった。

第十八回                        2017年01月

三月も終わりに近い暖かな日だった。私は床屋を出ると、その二階にある〈フロリアンス〉というレストランを兼ねた賭博場の、張り出したネオンサインを見上げた。一人の男が同じようにそのネオンサインを見上げていた。彼はうっとりした表情を顔に貼り付け、頭上の汚れた窓を熱心に見つめていた。自由の女神像を初めて目にしたヨーロッパからの移民みたいに。彼は私から三メートルくらい離れたところに立っていた。両腕はだらんと脇に垂れ、その大きな指の背後で、葉巻が忘れられたまま煙を上げていた。

さようなら、愛しい人 レイモンドチャンドラ作 村上春樹訳
<Farewell,my lovely>  Raymond chandler雷蒙特・銭徳勒

第十九回                        2017年02月

「文化大革命」が終息してから十六、七年、私はずっとこのいわゆる「革命」について考え続けてきた。特に『牛棚雑憶』を執筆中は、さらに集中的に、極めて真剣に考えた。これは私の「考察」もしくは「反省」といえるだろう。

私が考えたのは以下のようなことである。

先ずは、教訓を汲み取ることができているか否かである。

世の人はみな、いわゆる「プロレタリア文化大革命」なるものには、「文化」も「革命」もなく、百パーセント、正真正銘の「災厄の十年」であったと認めている。これは全中国人の共通認識であり、まったく議論の余地はない。

第二十回                        2017年02月

この空前絶後の(絶後であって欲しいものだ)災厄から、我々人民が精神的および物質的にこうむった損失はじつに多大であった。このツケは何をもってしても払いようがない。払えないなら、それでもかまわない。知識を求め、経験と教訓を得るには、それなりの学費を払わねばならないというではないか。しかし、我々が支払った学費はあまりにも膨大であるにもかかわらず、我々の得た知識や経験、教訓はいったいどこにあるのだろうか。

 この問いに対する私の答えは、少しばかりは汲み取ったものの、十分ではない、というものである。

第二十一回                      2017年03月

二十代だった私は、その時はじめて歴史を肌身で知ったように思った。石畳みに耳をつけると、はっきりと地鳴りがして、地ひびきが伝わってくる気がした。政治権力のコマ一つがはじかれると、国家がなだれを打つように動きだし、昨日までの秩序が崩壊して、日常が一挙に崩れる。歴史が動く一瞬であって、それを境に、すべてがガラリと変化し、もはや誰の手にもおえない力が前へ前へと押しやっていく。

第二十二回                      2017年03月

私には「戦後70年」という言葉は、あまり意味がない。むしろ戦後20年である。その間にいまの考え方、生き方、人との対し方のおよそを身につけたような気がする。以後の歳月は本質的に、ほとんど自分を変えなかった。母が口癖にしていたとおり、国は信用ならないし、他人は頼りにしないのがいい。勉強するのも体験を積むのも自分のため、人の話はよく聞いても、決める時は自分の考えどおりにする。

ドイツ文学者・エッセイスト 池内 紀

第二十三回                      2017年04月

「以前、春節連休の時は、101辺りは大陸からの観光客でいっぱいだった。店は儲かって手が回らないくらいだった。今は子猫2,3匹しかない」と語るのは、台北101ビルショッピングセンターの買い物ガイドの男性。「大陸からのお客さんは去年に比べると少なくとも三分の二は減りましたね」。記者は101ビルショッピングセンターの一階から四階までの各階を見ると、まさに男性が言った通りガラガラであった。店員は客よりも多い状態であった。

第二十四回                      2017年04月

李さんによると、大陸からの観光客が来なくなって打撃を受けているのは台湾の観光業者のみではなく、周辺の関連産業にも及んでいる。たとえば、ホテル業界や観光バス、観光スポット、観光客の消費一般に関連する業界などである。台湾経済にある程度の影響が及んでいる。ひとは金と時間あれば観光旅行を楽しむ。つまり旅行業と言うのは末端消費と呼ばれるものである。迅速に打開策を講じて、旅行業者が生存できるように当局に呼びかけている。

新第13回〜第24回

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