九十七〜一零八回

ホームへ戻る

九十七、八回

首都の西城の大通りでは、このとき何の騒音も聞かれなかった。焼け付くような太陽はまだ頭の上から直射してはいなかったが、路上の砂土はもうぎらぎらと輝いているようだった。酷暑は空気の中にみなぎって、いたるところで真夏の威力を発揮している。多くの犬は皆だらりと舌を垂らし、木の上のカラスさえ口を大きく開けて、あえいでいる。――しかし、もちろん例外もある。遠くからかすかに二つの銅皿をあわせ打つ音が聞こえてきて、酸梅湯を思い起こさせ、そこはかとない涼感をもたらす。だが、そのあいだを置いて聞こえてくる物憂い単調な金属音は、その静寂を一層深めるのだった。

聞こえるのは足音だけ。車夫は黙々と突っ走る。まるで頭の上から照りつける太陽から急いで逃れようとしているようだった。

「あったかい包子だよ! ふかしたてだよ・・・」

十一・二歳の太った子が目を細め、口をゆがめて、道端の店先で叫んでいる。その声はもう嗄れて、しかも長い夏の日で眠気がさしたように眠たげだった。彼のそばのおんぼろテーブルの上には、二・三十個ばかりの饅頭や包子のみ、湯気も立てず、冷たそうに置いてある。「さあ!饅頭に包子。ホッカホカだよ」

力を込めて壁に投げつけて撥ね返ったボールのように、彼は突然大通りの向こう側にすっ飛んで行った。

九十九、百回

階段を上って振り返ると、欧立文学長はやっと二段上ったところだった。学長は足ではなく手を使っている。両手で手すりをしっかりつかんで、力いっぱい体を引っ張り上げているのだった。動作は困難を極めていた。その時になって私は初めて学長が身体障害者であることに気がついた。ホテルの従業員が進み出て手を貸そうとしたが、学長は首を振って断った。私はそれ以上見ている気にはなれなかった。階段を上る姿はどう見ても様になっていなかったので、自尊心を傷つけるのではないかと思ったからである。


学長はついに階段を上りきった。にっこりと笑って、持っていた杖で、勝ち誇ったかのようにドンと床を突いた。そして、直ちに尊厳を取り戻すと、泰然自若として出迎えの人と握手を交わし挨拶をしているではないか。これはどうした事か? 私は突然自分が思い違いをしていることに気づいた。学長が今しがた尊厳を失ったなどということはあり得ない。そもそも人間の尊厳とは何なのだろうか?まさにこの時、私は大きなショックを受けたのだった。

第101、102回       

中国自動車工業協会が公表したところによると、中国の先月の新車販売台数は1109800台で、昨年同月比で5%余り増加した。

販売台数の増加は主に次の要因によると分析している。即ち、上海株式市場の株価の年初来の上昇率が30%に達したことで国民の消費意欲が高まったこと、そして中国政府が今年一月から排気量1600cc以下の自動車の購入税率を引き下げたことである。

一方、アメリカの今年三月の自動車販売台数は昨年同月比で37%減少した。こうした中で、中国の自動車販売台数は三ヶ月連続して世界のトップに躍り出た。同協会によると、「昨年下半期以来、落ち込みが続いた中国国内の自動車販売台数はすでに回復に向かいつつある」とのことである。

こうした情勢に直面して、日本のカーメーカーのマツダが今月から新型車を発売するなど、欧米と日本のマーケットが低迷する中、各メーカーの中国での販売戦略を強化する動きが日々活発化している。

第103、4、5、6回(百万ポントの紙幣)

私は彼の手があくまでずっと待っていた。やっと彼は私を奥の部屋に連れて行くと、人が見向きもしない衣服を一山取り出して、一番見劣りのするやつを一着選んでくれた。着て見ると、サイズが全然合わず、見栄えもよくなかったが、新しかったので是非買いたかった。そこで、文句もつけず,ただおどおどして言った:「勘定は待ってもらえませんか? 数日後に払いに来ますから。こまかい金の持ち合わせがないので。」

その男はいかにも冷酷な表情で言い放った:「ああ、そうなんだ。私だって、あなたがこまかい金を持ち合わせていないことぐらい勿論分かりますよ。あなたのようなお金持ちは大きな札しか持ち歩かないものですよね。」この言葉に頭にきた私は言った:「お若いの。見ず知らずの人を着ているものだけで品定めをしてはいかんよ。この服の金ぐらい払うのは朝飯前だが、ただ君たちを困らせたくなかったんだ。大きな札をくずせないと思ってね。」

これを聞いて、彼は態度を少し変えたが、相変わらず恰好をつけて言った:「私は決して悪気があるわけではないが、あなたがお説教するなら、私のほうも言わせてもらいましょう。どんなに大きな札をお持ちなのか分かりませんが、あなたのように何の根拠もなしに勝手に、私どもがくずせないと決めてかかるのは、余計な心配というものですよ。おあいにく様。くずせますとも。」

私はその札を渡して言った:「ああ、じゃよかった。悪かったね。」彼は笑いながら受け取った。顔いっぱいに笑顔を浮かべていたが、その中には大じわ、小じわ それに渦巻きのようなしわもあり、まるで池にレンガを投げ込んだ時のようだった。だが、彼がその札をちょっと見たとたんに、その笑顔は硬直して精彩をなくし、あたかもご存知のヴエスヴィアス火山の周りのあの小さな平地に固化した波状の一枚一枚の溶岩みたいで,虫がうじゃうじゃしているようだった。


第107、8回

21世紀、経済のグローバル化の進展により、各国家間と各文明間の距離が急速に縮まり、文明間の接触と交流が益々頻繁になっている。異質な文明の間では、互いに疎遠で、理解を欠くと、適応しあうことができず、対立と衝突が起こることになる。共存する多元的文明に如何に対処するかが世界の未来を決める。即ち、文明の対話と相互尊重によって,共に発展して、調和のとれた世界を築きあげるのか、それとも冷戦思想,猜疑、偏見、排斥の結果、戦争が勃発することになるのかを決めるのです。一抹の喜びは、多元的文明の対話がまさに全世界の人々の間で強いコンセンサスになっていることです。

調和のとれた世界が可能なのは、多元的文明には本来その差異性があるにもかかわらず、同一性もあるからです。文明は野蛮とは異なり、人類の長い間の実践活動の中で凝縮された知恵と素晴らしい理想なのです。さまざまな文明の深層構造の中には、いずれも人間に対する熱烈な愛と思いやりと寛容が含まれています。西洋文明の中には「博愛」、中国文明の中には「汎愛」、仏教文明の中には「慈悲」があり、イスラムの教義は「何かに苦痛を感じたなら、その苦痛はすべての人にとって苦痛であることに思い至らなければならない」と説いている。各文明の中のこうした核心的な内容は、結び合わせて、互いに交流させ、力を合わせて進めて行くことができるのです。多元的文明は互いに異なると同時に、また同一化も目指している。文明の対話を実現して、理解しあい、尊重しあえば、文明の間の対立や戦争は避けられない筈はないのです。