新第一回(第22              2016年04月

髪をブロンドにブリーチした、身長182cmの桂三輝(かつら さんしゃいん)は、普通の落語家(喜劇の語り手)ではない。

400年続く日本の落語に興味を持つ前、のちに三輝となる彼はカナダの故郷、トロントで劇作家として成功を収めていた。彼は、グレッグロービックという名で1999年に来日した時には、古代ギリシャの劇作品と日本の能や歌舞伎との類似性を数ヵ月かかけて調べてから帰国するつもりだった。

新第二回(第22              2016年04月

三輝は当時のことを次のように振り返る。「日本に来てすぐにこう思いました。『日本がこんなに面白い国だと、どうして誰も教えてくれなかったんだ?』ってね」。

それ以来、彼はほとんど日本を離れていない。来日から数年後にようやく天職である仕事に巡り合えたが、それが見つかった場所は演芸場ではなく、横浜のアパートの近くにある焼鳥屋だった。ある日の閉店後、焼鳥屋の店主が、落語を聞きに行かないかと誘ってくれた。「その時は落語について知らなかったのですが、聞きに行ってみました。それでピンときたんです。『これだ。これこそ自分の天職だ』と思ったんです」と三輝は語る。

第三回                              2016年05月

落語の高座は、一般に“枕”(字義としては“pillow”を意味する)で始まる。枕において落語家は、欧米のスタンダップコメディのスタイルに似た日常的な笑い話を語る。枕は本題に入るための巧妙な導入となっているが、本題は落語家が“コンコンコン”と扇子を叩いてドアをノックする演技以外、何の前触れもなく開始されることもある。落語は、細かくコントロールされた身振り手振りと、巧みな声色の変化によって登場人物を演じる芸であり、一人喜劇の形式をとる。

第四回                              2016年05月

外国の観客にアピールする上で、言語を除いて、落語に変更を加える必要はないと三輝は強調する。「海外のお客様は落語を理解してくれます。日本らしい面を落語から取り除く必要はありません。海外で落語を披露する時にも、できる限り日本らしさを残すべきでしょう。それができるのが落語の魅力のひとつです」と彼は言う。三輝は枕の多くの時間を使い、自身の修行時代の苦労話や日本語のボキャブラリーに関する困難について語って観客を楽しませることが多い。

第五回                              2016年06月

農民工の日常生活の中では、衣食住と移動は非常に重要であるが、一番大切であるのは「住」で、良い居住環境にいなければ、農民工は今よりも、安定した仕事につくことができない。公布されたばかりの「居住証暫時施行条例」では、「合法的な定職につくか、合法に安定した住所を有し、継続して就学を行い者。以上のどれかに該当するものは、本条例の規定に基づき、居住証を申請受領することができる」と示されている。

第六回                              2016年06月

いわゆる安定した住所は何か。従業員用宿舎はおそらく安定とは言えない。不確定要素があまりにも多く、今の職が定職と言えなければ、住居など同然である。ましてや、工業開発区の多くの企業は宿舎など保有しておらず、「住」を提供していない。

  現実は、手頃な住居はなかなか見つからず、少しいい物件であると、800元、さらに1000元以上にもなる。安いものになると、トイレや台所がなく、長期的に住むのも非常に不便である。

第七回                                  2016年07月

それは、あたたかく、清潔で、親しみのある気持の良いカフェだった。私はコート掛けに私の古いレインコートをかけて乾かし、ベンチの上の方の帽子掛けに、自分のくたびれた色のさめたフェルト帽をかけ、カフェレを注文した。ウェイターがそれをもってくると、私はコートのポケットからノートブックを出し、鉛筆をとり出して書きはじめた。私はミシガン湖畔について書いていた。その日は荒れた、寒い、風の吹く日だったので、物語の中でも、そういうふうな日になった。

第八回                               2016年07月

一人の女がカフェへ入ってきて、窓近くのテーブルにひとりで腰をおろした。とてもきれいな女で、新しく鋳造した貨幣みたいに新鮮な顔をしていた。それに彼女の髪は黒く、カラスの濡れ羽色で、ほおのところで鋭く、ななめにカットしてあった。

私は彼女の顔を見ると、心が乱れ、とても興奮した。私の物語の中か、どこかへ、彼女のことを入れたいと思った。けれど、彼女は、街路と入口を見守っていられるような位置に身を置いていた。だれかを待っていることがわかった。だから私は書きつづけた。

動的盛宴  ヘミング・ウェイ福田陸太郎訳 

第九回                  2016年09月

現在にいたるまで、私は知識青年に対して、多くの人々とは違う見方をしている。知識青年によって農村に文明がもたらされたとは思わないし、彼らが農村に現れたことによって農民が都市の文化を知ったとも思わない。私は強く感じるのは、彼らの出現によって、都市と農村の格差が証明されたということだ。格差は人が思うよりずっと大きく、一般に言う農村の都市に対するあこがれや羨望に止まらない。

第十回                  2016年09月

もともと教科書で言うところの「四つの近代化」、特に農村の近代化は美しい夢に過ぎない。「アラビアンナイト」の物語のようなものだ。知識青年が去った後、私は漠然と気付いた。この土地で運命が訪れるのを待つよりは、ここを脱出して何かを変える努力をした方がいい。もしかすると、小学校二年生の時、洛陽からやってきた女生徒に出会ったことで、私は早くも農村を抜けたしたいという気持ちを抱いたのかもしれない。

第十一回                        2016年10月

そこでパスパルトゥーは、アメリカ行きの船をたずねてみようと思った。船賃と食事代だけもらえばいいから、コックかボーイに使ってもらおうと思ったのだ。サンフランシスコについてしまえば、なんとかなるだろう。重要なことは、この日本と新大陸のあいだに横たわる四千七百マイルの太平洋を渡ることだ。

第十二回                        2016年10月

パスパルトゥーは思いついたことを熟考する方ではないので、すぐと横浜の港へおもむいた。しかしドックへ近づくにつれて、自分の考えが、それを思いついたときほどかんたんにいかないように思われ、しだいに実現不可能にみえてきた。はたして、アメリカ行きの船にボーイやコックが必要であろうか?それに、こんな異様な様子をして信用してもらえるかどうか?紹介状が必要であろうか?身分証明書もいるだろう?

《八十天間地球一周》是法国著名科幻小説家儒勒・凡納(ジュール .ウェルヌJules Gabriel Verne 18282月〜19053月)的一部重要作品。述的是一位紳士福格因為在改良倶楽部同牌友,而从敦出発,用80天的時間游地球一周的故事

選自第二十三章

新第1回〜第12回


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