第109、110回   アンケート

自分にあてはまると項目をチェック。その合計数であなたのじているプレッシャーの度合いを診断します。

プライベート
□1.老後のことをえることがよくある。
□2.にこれといった趣味がない。
□3.夜中める
□4.近所ともめごとがある。
□5.しい友人はみんな自分より収入い。
□6.多額のローンや借金がある。
□7.びのわせでも絶対れない。
□8.一人くのは苦手だ。
□9.現在病気である。
□10.りたい友人がいる。
□11.一日中部屋掃除していることがある。
□12.れるとさなシミでもになる。
□13.生活不規則である。
□14.最近くなったようだ。
□15.日本将来いとう。
□16.自分両親にとって自慢息子だった。
□17.ギャンブルはいだ。
□18.テレビ・ラジオの人生相談熱心ってしまう。

第111、112回

擬態語とは、字のごとく状態をなぞらえる言葉で、例えば大雨が「ザーザー」降るとか、雷が「ゴロゴロ」鳴る等で、引用符の中の言葉が擬態語である。日本語の初学者は擬態語に出会うことはないかもしれませんが、中級・上級に進み、特に文学作品を読むときにはきっと出会うことでしょう。

私が何故日本語の擬態語について話そうとするのかというと、それは日本語を学んでいる友人の中に、私に日本語の擬態語は二つの点で難しいという者がいるからです。第一は、漢字がないので,字面からは全くその意味を推し量れないということ、第二は、擬態語の中には辞書を引いてもないものがあるので、彼らはこれ等の擬態語は作者が勝手に作ったのではないかと疑っているからです。実のところ、日本語の擬態詞は複雑である(上記の二つの難点)一方、簡単でもあるのです。何故簡単かというと、それには一定の守るべき法則性があるからです。日本の著名な学者が日本語の擬態詞について、四つの規則性をまとめているので皆様の参考に供します。

1.「カ」行のカタカナで始まる擬態詞は一般に「乾燥」、「堅固」な様を表す。

 例えば、「カラカラ」。

2. 「サ」行のカタカナで始まる擬態詞は一般に「爽快」、「湿気が多い」様を表す。

 例えば、「サラサラ」。

3. 「ナ」行のカタカナで始まる擬態語は一般に「なめらか」、「ねばねばした」様を表す。

 例えば、「ヌルヌル」。

4.「ハ」行のカタカナで始まる擬態語は一般に「しなやか」、「ひらひら揺れ動く」様を表す。

 例えば、「フワフワ」。

従って、私としては次のように提案したい。ある擬態詞が辞書の中になくても人に聞くまでもありません。この四つの規則性を参考にして、大方、意味を見当づければいいのです。


第113 114回

「好き」と「打ち込む」はコインの表と裏のようなもので、その因果関係は循環しています。好きだから仕事に打ち込めるし、打ち込むうちに好きになってくるものです。

どんな仕事であっても、それに全力で打ち込んでやり遂げれば、大きな達成感と自信が生まれ、また次の目標へ挑戦する意欲が生まれてきます。そのくり返しの中で、さらに仕事が好きになります。そうなれば、どんな努力も苦にならなくなり、すばらしい成果を上げることができるのです。


講師はホンダの本田宗一郎さんだったのこと。

会場に現れた本田さんは工場から直行したような作業着で開口一番に「みなさんは、いったいここへ何しにきたのか。経営の勉強をしにきたらしいがそんなことをする暇があるなら、一刻も早く会社へ帰って仕事をしなさい。温泉に入って、飲み食いしながら経営が学べるわけがない。それが証拠に、私はだれからも経営について教わっていない。そんな男でも会社が経営できるのだから、やることはひとつ。さっさと会社に戻って仕事に励みなさい。」



第115 116 117 118回

劉宏は大学に入り, 朱英という女子学生と知り合いになった。二人は妙に馬が合い、劉宏は何とかして朱英と付き合いたかった。もうすぐクリスマス。劉宏は朱英を誘ってマクドナルドでロマンチックな一晩を過ごしたいと思った。だが、おごるとなると金が必要だ。学生の分際で、そんな金が有る筈がない。母にねだるほか手はない。

日曜日に劉宏は一度家に帰ったが、玄関を入ると母にどう切り出したらいいものか迷った。父が亡くなってこの五年間、母は食べる物を節約し,出費を倹約して、お金はほとんど私のために費やしてくれた。でも、朱英の為清水の舞台から飛び降りるしかない。

ご飯の時、母が突然言った。「この前、工場で何人かリストラされてね」 劉宏は驚いて聞いた。「お母さんリストラされたの?」 母は笑って云った。「驚くことはないよ。大丈夫。お母さんはリストラなんかされずに、うまくやってるよ」  劉宏はこれでやっと一安心した。

ご飯を食べてから、劉宏はお母さんに切り出した。「お母さん、資料代200元いるんだけど」 母は奥に行って、お金を持ってくると、丹念に数えて劉宏に渡した。劉宏はお金を手に、自責の念に駆られて、学校へ戻った。

クリスマスイヴに劉宏と朱英はマクドナルドにやってきた。席に座ると劉宏はウエイトレスに云った。「ちょっと。ここ片付けてくれないか?」一人のウエイトレスが急いでテーブルを片づけにやってきた。劉宏はその姿恰好に見覚えがあった。頭を上げるとお母さんだった。彼は驚きのあまり、「お母さん」の一言も言いだせず、ただぽかんと母を見つめるばかりだった。母は皿を下げて行ってしまった。目に一杯の涙をためて。劉宏はこれでやっと母が首になったことが分かった。

時の経つのは速いもので、劉宏はもう二年生になっていた。ある日何枚かの折りたたんだ人民元を母の手に渡していった。「これ僕の奨学金と、家庭教師で稼いだお金なんだけど。お母さん、もう学費は自分で出せるよ。これからは苦労かけないからね。分かった?」母は息子を見つめ、お金に目をやっては泣き出してしまった。せがれも大人になったもんだ。


第119 120回

寄贈できない古着

これ等の古着は良い品ばかりなのですが、スタイルが多少旧式なだけです。端午の節句も過ぎて, 葉さんは家族のためにタンスを整理して、古着を何着か取り出した。大部分の古着はブランド物で、ほんの数回袖を通しただけのものもあったので、葉さんはそのまま捨ててしまうのも忍びなく、例年のように必要としている生活困窮者に贈るために一纏めにした。

しかし、葉さんは民生部門や和門市慈善団体などの関連部門に連絡しても、もう古着の寄贈は受け取らないと云われ、不思議に思った。彼女は数日、問い合わせを続けたが、古着の寄贈を受け取るところは見つからなかった。

担当者が記者に云うには,江門市は既に去年、古着の受け取りを一時的に見合わせているとのことでした。今,四川の被災地など支援を要する幾つかの困窮地域の中で最も不足しているのは、衣類などではなく故郷再建のために必要な資金と逼迫している物資なのです。

中国語表現法研究  和文中訳

第109回〜第120回


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