第157〜158回

二・三日前、私は日比谷の東宝本社の試写室で近近上映される高倉健主演の映画「あなたへ」を見てから、喫茶店でコーヒーを飲んでいたが、何故かしら遅まきながら一つの疑問に突然とりつかれた。即ち、私は何故高倉健の映画を一本も欠かさずにずっと見ているのだろうと。

私はある問題にこだわりだすとどうしても答えを見つけ出さないと気が済まないたちなので、家に帰えるや本箱の中のスクラップと本棚の高倉健に関する本を何冊か探し出し、開いてみているうちに考えにふけった。

私は高倉健の映画の中で人を感動させる主役の人物像には幾つかの特徴があることを改めて結論付けるに至った。即ち、

第一、大切な物を守るには、いざという時には代りに別の大切な物を断念する決心をしなければならない。

第二、自分の信念に忠ならんと欲すれば、心はいつも葛藤していること。

第三、自分が最も大切と思う物は、深く心に秘めて口にしないこと。など等。

高倉健の言葉を借りれば、すべての映画を貫く彼の描く人物像は皆、「男らしい筋金入りの硬骨漢」なのです。


第159〜160回

中秋節と国慶節が合い伴って近づいてくるにつれ、贈答の風習も又日ごとに盛んになって来た。大型の蟹から月餅に至るまで次々に贈答用の人気商品になっている。近年来の「高級志向」の波に乗って、今年の月餅もまた豪華さを競い、あるメーカーが売り出した「金銀月餅」の値段は一セット最高4,700元。月餅もこうなると、人々はあっ気にとられるばかりか、疑いの目で見るようになる。

昔の「高級月餅」はアワビ餡でもフカヒレ餡でも、値段は高かったが、とにかく食べられたし、いづれにしても月餅の部類に入るものだった。ところが今では、小麦粉も餡も入れずに、純金や白銀そのものでできており、月餅とはいっても、実際はまさに金や銀の塊なのです。「金銀月餅」というのは実は月餅を装った付け届けで、中秋節が重んじる一家の団らんや和気あいあいの文化的な意味合いとはそぐわないのです。

第161〜162回

2008512日の地震の時、私はスペイン行きの飛行機に乗っていた。窓の外には白い雲が浮かび、果てしない大地の上には山河がぼんやりと見分けられた。アムステルダム空港について乗り継ぐ時、携帯を開くと、十数個の地震関連の消息が一斉に押し寄せてきた。メッセージが簡潔で、しかも旅の疲れが加わって、実のところ余り大したこととも思わなかった。

乗り替えてバルセロナに着いた時は、すでに現地時間の午前一時。着陸する時、市街の華やかな夜景が正面から迫ってきた。

先ず思い浮かんだのが、この都市に住んでいる前国際オリンピック主席のサマランチ氏である。十数年前、北京がオリンピック招致にしのぎを削っていたころ、ある学校が小学生にサマランチ氏宛に手紙を書くよう働きかけた。友人の子供は「サマランチのおじさん、もし北京でオリンピックをやってくれたら、きっと家で餃子をご馳走しますよ。おばーちゃんの餃子はすごーくおいしいんだから」と書いた。

第163〜164回

今年35歳の李健年は社会人になって11年、北京市の小売企業に勤務、月給は4000元余り。月割で、規定により前年の給与総額の8%の年金保険金を納付する。このお金は李健年の個人年金口座に記帳される。このほか、彼の所属する単位も李氏の前年の給与総額の20%の年金保険金を納付する。このお金は政府が賦課方式で支払う年金社会プーリング口座に組み入れられる。

規定によると、李健年が定年後に受け取る年金は二つの部分から構成されている。基礎年金と個人口座年金である。基礎年金の計算方法は煩雑だが、大体当該地方の前年度の従業員の月平均給与に納付年数をかけたものの1%である。個人口座年金の計算は比較的簡単で、個人口座の総額を支給月数で割ったものである。(支給月数は現在一般に170日で計算している。69歳定年から中国人の平均中寿命74まで丁度170カ月近くになる。)

第165〜166回

張:あの手の女ときたら全く手に負えない。白々しいったらありゃしない。相手かまわず金のことばっかり。

陳:どうした張さん? 口喧嘩でもしたのかい? そんなに怒って。

張:全くいやになっちゃうよ。おととい道端の小さな店でラジオを買ったんだが、一日聞いただけで音がでなくなっちゃったんだ。そこで、取り換えに行ったんだけど・・・。

陳:取り換えてくれなかったのかい?

張:取り換えてくれないどころか、さんざん文句言われたよ。あの女よくやってくれるよ。明らかに私に売っておきながら、全然売った覚えがないって云い張るんだよ。一言いえば十言が返ってくる始末。私が得をしたいとでも思っているような口ぶりなんだ。

陳:領収書を見せれば済むことじゃないか。

張:あれば、もめることはないさ。

陳:大騒ぎしたって、領収書がなけりゃ咎め立てできないよ。

張:だけど、確かにあそこで買ったんだ。いい年して今更だましたって仕方ないだろう。

陳:わかったよ。まあ、落ちつけよ。もともと、あんなところで買うのがいけないんだ。ちっぽけな店の物がいい筈がないじゃないか。

張:あの店は我が家の路地の入口にあって、いつも買い物をしていて、まんざら面識がないわけでもないんだ。硬いことを言えた義理じゃないのになあ。全く考えてもみなかったよ。

中国語表現法研究  和文中訳

第一五七〜一六八回


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